函館昔ばなし──1972〜1975年

 

13期生が高校時代をすごした1972年から1975年は、
世間的には沖縄が返還されたと思えば、
恥ずかしながらといいつつ横井さんが帰ってきたり、
日本列島が改造されたり、沈没したり、
オイルショックでビンボー高校生の命の糧
インスタントラーメンの値段が1か月で2倍になったり、
ひこうき雲氷の世界ファンキーモンキーベイビーだったかと思えば
長嶋茂雄永久に不滅三木武夫晴天の霹靂であるという、
怒濤の3年間でありました。
ここではそんな世間の動きとは一定の距離を置いて生活していた
13期生の極私的思い出を振り返りたいと思います。

(投稿も待ってます)

その1 500mの峠越え秋の強歩遠足

13E・飯島正撮影の貴重な出発前の写真。モノクロが時代を物語っている。

これも非常に貴重なガリ版刷りの成績表。こんなものが残っているとは。13A・長谷川博雅提供。


 毎年秋になると生徒たちは亀田半島の恵山の手前付近までバスで連行され、「8時間以内に学校まで歩いて帰ってくるよーに」と指示された。卒業アルバムでは「校内マラソン」とあるが、「強歩遠足」の名前で通っていた。コース全長は約35キロ。標高差は500メートルだった。
 スタートの合図とともに後先考えずダッシュする元気な生徒もいれば、食料の備えも十分な開き直り組もいた。途中の検問所にはフルーツが用意されており、ゴールでは母の会有志お手製のお汁粉が待っていた。
 1位のゴールはおよそ2時間半後。8時間ギリギリを狙う集団との間は大きく距離が開き、最後尾の後ろを走るクルマからは「こらおまえら急げ」という叱咤激励の声が飛ぶのであった。

文責 13D・岩佐

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